軽井沢のアンティーク雑貨・家具ショップのベルリネッタです。
ベルリネッタではヨーロッパを中心に直輸入したアンティーク家具や食器・雑貨等を取り扱っており、御来店いただくお客さまによりお買い物を楽しんでいただけるよう【アンティーク入門】と題したブログを連載しています。
先日の記事では >>>【アンティーク入門 vol.2】では家具や食器の様式 についてご案内しました。
今回は、ヨーロッパ各国における「陶磁器のルーツ」について探っていきましょう。
陶磁器のはじまり
人が陶磁器を使い始めたのは、旧石器時代から新石器時代に変わる頃のことです。
粘土を野焼きの状態で焼いた土器が最初でした。
紀元前24世紀ごろの中国で、ろくろを使った陶磁器の生産が開始されたと言われています。
エジプト人、アッシリア人、ペルシャ人などが、自分たちでも陶器を作ろうと中国人の陶工たちを重用したそうです。
中国で作られた白磁は、唐の時代(7〜10世紀)にシルクロードを通ってヨーロッパに運ばれました。
中国・明の時代には華やかに彩色された豪華な磁器も登場し、オランダ・東インド会社の貿易によってヨーロッパに持ち込まれるようになります。ヨーロッパ各国の王や貴族・富裕な商人たちはその美しさに魅了され、こぞって買い集めたとか。中国や日本の磁器を所有することがステイタスとなっていったのです。
世界各国に日本の磁器の美しさが伝わっていたとは嬉しいですね。
14〜15世紀頃になると、スペインがヨーロッパ近世陶器発祥の地となり、イスパノ・モレスク陶器が作られるようになります。またイタリアではマヨリカ陶器が焼成されました。
マイセンなど、今に伝わる名窯が設立されたのは、その後、18世紀頃のことです。
日本の陶器
縄文土器に始まる日本の焼き物は、豊臣秀吉の朝鮮出兵により現地から連れてこられた陶工たちの手で、佐賀県・有田で始まりました。
有田の磁器は、江戸初期に伊万里港から海外にも積み出され「古伊万里」として名声を博します。西洋の焼き物にも多大な影響を与えているんですよ。
明治維新で開国すると、日本も一気に西洋化への道を進みます。
そうなると、外貨獲得のため輸出が重要課題となりますよね。その中で着目されたのが、ヨーロッパでも高い評価を得ていた陶磁器だったのです。しかしながら、輸出用の優れた洋食器を作る技術とノウハウが、この時点ではまだありませんでした。
I--ディナーウェアの誕生
日本陶器(現ノリタケカンパニーリミテド)の創始者たちが、1889(明治22)年のパリ万国博で、初めて白色硬質磁器の食器に出会いました。
その後1894(明治27)年に、ニューヨークの百貨店主からテーブルウェアを扱うとよいとアドバイスされた彼らは、白色硬質磁器の製造を決意。1903(明治36)年、初めて白色硬質磁器を焼成することに成功しました。
ディナー皿の製造は困難をきわめ、白い地肌の焼成、均一でゆがみのない皿を焼き上げるのに言葉では言い表せない苦労があったようです。
1913(大正2)年の開発から20年かけてディナー皿(25cm)の焼成に成功し、翌年1914(大正3)年にようやくディナーセットが誕生したそうです。
しかしこの苦労の甲斐があり、ディナーセット完成の翌年1915年頃からヨーロッパ各国やアメリカへの輸出も伸びて、当時ディナーセットの代表的な輸出国であったドイツをしのぐ勢いで発展しました。
ドイツの陶器
ドイツの名窯といえば......マイセン、ヘスフト、ベルリン、フラケンタールなど多数あります。
しかしこれらにも、実は日本の磁器が手本とされているんですよ。
東洋の焼き物は17世紀のヨーロッパの貴族階級に大変人気で、熱心なコレクターもいました。その一人がドイツ·ザクセンのアウグスト王です。彼はついに自分自身で東洋の磁器と同じような焼き物を作ると決心し、ドレスデン地方のマイセンにマイセン窯を開きました。
そして1694年、なんと19歳の錬金術師フリードリッヒ·ベドガーを監禁したうえ、磁器の開発を強制したというから驚きます。
14年の月日が経ち.......1708年、ようやくカオリンという磁土を使った本格的な白磁器が完成しました。
当時の陶磁器製造法は最先端なテクノロジーであり、多大な利益を得られる最高機密でした。ベドガーは秘密が漏れるのを恐れて監禁され、実はその精神的苦痛から39歳で亡くなっています。
マイセンの焼き物は日本の磁器より高い1400度以上で焼いているのが特徴。現在でも伝統的な手作り方法で作られていて、大量生産できないため、大変高価な食器です。
日本の磁器を手本としたこともあり、東洋調のデザインが多く息づいています。
フランスの陶器
フランスの名窯といえば......リモージュ、セーブル、シアン、マドゥラーなど多くあります。
ドイツ·マイセン窯に遅れること30年......ルイ15世の保護の下に磁器工房が、ヴァンセンヌ城に誕生しました。
その後、ルイ15世の愛人であり才色兼備だったポンパドール侯爵夫人がパリの近くのセーブルに窯を移し、1759年に王立製陶所となったのです。
セーブルの磁器はベルサイユ宮殿を飾り、富と権力の象徴として発展していきました。
セーブル窯では一流画家、宮廷彫刻家、絵付師、デザイナー、調合師、化学者、品質管理者などを抱え、最盛期には、約千人の工人が王室で使う日常用品や装飾品を製造し、ロココ文化の華を咲かせていたそうです。
ロココ文化は貴族趣味のサロン文化であり、女性文化でした。
その系譜から、現在もフランス食器は様式にこだわっており、薄手で軽く、かわいくて小ぶり、上品で女性らしさを象徴しています。
日本の食器デザインと似て、花柄が多いのも特徴です。
イギリスの陶器
イギリスの名窯といえば......ウェッジウッド、エインズレイ、スポード、ロイヤルドルトン、ミントン、ロイヤルクラウンダービーなど。
ウエッジウッド窯の創始者であるジョサイア·ウエッジウッド(1730~95年)は、若くして独立した異才です。
イギリスの土ではマイセンのような白い焼き物は出来ないことから、中世以来の伝統を受け継ぐクリーム色の陶器の改良に成功し、ストーンウエアの土に色を付けて高級品のジャスパーウエアを制作しました。
また産業革命が進む中、それまで家内工業的な窯業を、組織だった大工場に生まれ変わらせたのも彼です。
息子のジョサイア2世の時代になると、ボウ窯の技師トーマス·フライが、原料の中に牛の骨の灰「ボーンアッシュ」を加えることにより良質な磁器を作る事に成功。これがボーンチャイナの始まりです。
ボーンチャイナはウエッジウッド2世らによってさらに改良され、テーブルウエアの主役になっていきました。
イギリスの焼き物の特色は素材の創意工夫にあります。白い磁器が製作できないところから生まれたボーンチャイナ、ストーンウエアや硬質陶器とバラエティーに富んでいて、ヨーロッパで最も優れた陶磁器の生産国となっていきました。
いかがでしたでしょうか。
国ごとにルーツを探ってみると、装飾性に拘ったデザインの多い窯、陶磁器の素材が特徴的な窯......得られる原材料等によって工夫を凝らしていることがわかり、陶磁器の特性がみて取れます。
ベルリネッタ軽井沢では、こちらでご紹介した名窯のアンティーク陶磁器もお取り扱いしています。
ぜひお気に入りを探しにいらしてくださいね。
記事監修:齋藤秀雄
元(株)ノリタケカンパニーリミテド デザイナー
参考文献:器物語 ノリタケ食文化研究会編 中日新聞社
ノリタケデザイン100年の歴史